purun34’s diary

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小学生中学生高校生の私を振り返ってみた

小学4年の時に父と母が離婚しました。

その時選択されたのはどちらについていくかということでした。。

父と母のどちらにと選択を余儀なくされて私は環境が変わることが苦手だったことと友達とつながっていたいから・・理由は単純なものでした。


そして弟と姉が父と母が別れたことによって明らかにかわったんです。。

姉はガリガリにやせ細って・・


弟は私に引っ付きむしみたいに私についてきました。。


母は働きまくりで・・そうしなければ生きれなかったことは今の私に理解できても・・



その当時は小学5年の時。

体調が悪くても学校に通うことが救いで・・


先生も友達も温かくて・・家に帰るのが嫌ではなかったですけど・・


体調が悪くなってもお母さんは働いてるからいない


体調が悪くて保健室に通ってた。。それが小学生時代で・・でも私欠席ゼロだったの・・



保険室の先生には感謝してます。美人だった。。


中学に入って思春期


母が盲腸で腹膜炎になり母がいないと生きていけないことを痛感した。。


姉と弟と私で1か月ぐらい過ごした日々はこの先の不安。母がいないといきてけないと感じだ瞬間。。


あの時私はその気持ちをずっと自分しか見れない日記をつずっていて・・そこに感情をいっぱい吐き出しました。。


父に連絡のすべを母が教えなかった。きっと父は状況をきいたら飛んで戻ってくることは間違いないと今の私には理解できても・・


姉が学校の帰りに食材を買いに行く担当で私は病院に毎日自転車で母に会いに行きました。



私が弟と姉のお弁当を作って・・



当時を思い出すと辛くて。。でも弟と姉と私で乗り切ったというよりは時間が過ぎるのを待つだけの環境だったわ。。


母は私のことを命の恩人だと今でも言いました。あのとき朝練(テニス部所属)で・・母がいつもの食べ過ぎで調子が悪いだけだからと言ったけれど・・

私は朝練の前に病院へ自転車で変な予知感を感じて・・朝練の前に病院へ予約しに行って・・母は手術することに。しかも腹膜炎になっていて・・腹膜炎の意味が解らなかったの?!盲腸は昔絵本で読んだことがあって父が買ってくれた絵本で・・葡萄の種が盲腸に入って・・?!葡萄は慎重に食べなくちゃなんて・・小学生時代。。


中学生時代の思い出はいっぱいあるけれど・・



私の中であったこと・・母が死んだら生きていけない。。結局自分のことしか考えてなかったのかも。。


高校生になれた。ほんとはもっといいところ塾の先生も合格できる能力はあると言われたにも関わらず私は地元の近場の難なくクリアできるところを選択しました。


その理由は通学が楽なほうがいい。友達がいないところへ通う勇気がなくて・・


今の私だったら?





それは後悔だらけなのに


でも後悔はしてないの(苦笑)



だから今の私が・・生きてる意味を?


確かに当初大学行きたいと冗談で母に言ったら自分で稼いで言ってと返されて・・


やっぱり行く気ないしと笑って言っちゃったw

大学行く目的はなに?

私は遊ぶために大学行きたくないとなんとなく当時思いました。


今は時代が変わった。。



大学はなんのために?今の若者はたいへんですけど理解して大学に行こうとしてるんだと理解はできても・・



高卒の私がなにか問いかけたとしても・・


影響力はあるのかしら。。