purun34’s diary

過去のデーター保存場所

私の父の生き方 そして弟へ

私の父の人生





父の生き方    




一人の人間として





こころを  教えてくれた










いつも私たち子ども3人連れて



釣りや



神社に早朝からカブトムシ捕まえに行ったり




手作りが好きだった




動物が好きだった







自分の親を大切にする姿





地域の役員になって子ども会など中心に活躍する父





小さい頃私は父を尊敬してた






自慢の父だった





でも家ではいつも怒鳴ってたけどね







一度だけ私が幼稚園のとき夜泣きしたのが




耐えられなくて





父が私に




何で泣いてるのか言えと怒鳴った




私は自分が泣いてたのを覚えてないし父の怖さに声がでなかった




10秒以内に言わないと外に出すといった





そして言えなかったので



父は私を全裸にして表にでろと言った



私は泣いて階段を上がって母に助けを求めたが




母はミシンをして黙って助けてくれなかった



姉がおくの部屋で起きて見ていた。。











次の日仕事から帰ってきた父は



私に謝った





ごめん。お父さんが悪かった





私はその言葉でほっと安心したのを覚えている






まあそんなことがあったけど父は好きだ





小さい頃 障害者を見て指さして



あの人どうしはったん?




と聞いたら





父にものすごく叱られた




ペットショップでいつもさびしそうにしていた売れ残った芝犬



いつも父が気に入ってペットショップに見に行っていた



足袋をはいた黒い色の芝犬だ




離婚するときこの犬を買ってくれた



そして飼う事になった



父が犬小屋を作ってくれた



そして父は離婚のことを



私たちにきちんと説明し



でていった






母は何も言わなかった


母は子供たちは言わなくても分かってくれている
自分の見方だと絶対的に思いこんでいた







父は女ができてその人と暮らした



しかし離婚して何年か経たないうちに




父はたまに私たちの家に来ていた




どうもうまく女といってなかったようだ




父は子供たちのことを1日たりとも忘れたことはないと



言った。





父もまた苦しんでたに違いない




自分のしたおこないに。。。








そして父は心筋梗塞脳梗塞で入院



と同時に女に別れをつげられる




熟年離婚




そして家に私が帰っておいでといったんだ。




そして今復縁  もどってきた





そして地域の会長してます〈笑)





2年連続    はじさらしですよね?



世間からしたら





どのつらさげてもどってきたのかね?




情けないだろね。





でも私はちがう。




そうやってまた自ら逃げずに自分のおこないに




真っ向から立ち向かっている




父の姿が





からしたら




それでこそ私の父だ




頑張ってください。




自分のいなかった間



何があったかを。。。。




今いろいろかみ締めているはずです。





弟へ




赤ちゃん無事誕生おめでとう!



かわいい女の子だね




これからだよ  いろいろあるけど  大丈夫



私たち 家族はいろいろあったけど  それぞれ一生懸命




乗り越えてきた




これからも   大丈夫





前を向いて歩いていこう。。。




仁子








まあ父は自分の好きなことして生きてきたように思うが




それでも




養育費、家の支払いはきちんとしてたし、




子どもが何かあったら父がいつもかけ付けてくれた





わたしからしたら




単身赴任の父って感じであまり




父に対しては怒りなどなかった





今思えばすごく





愛されてたが父は自分の人生も考えただけではないかな・・