purun34’s diary

過去のデーター保存場所

かわいそうと思う心がもう差別。。

この標語が私の人生にいつも残っている言葉。



私自身の経験で。。小学4年のときに両親が離婚しました。



そして当時離婚するということはとっても目立ったのです。。


クラスメイトからどうしたの?



と聞かれることもありましたが、、



私はそれを母に一切話してはいけないと言われていたこともあり。。


黙っていました。。


でも黙ってることによりかえって、、、かわいそうな目で私を見る人たちもいました。


私が中学生になったときには。。。


自分はかわいそうなんかじゃない!という気持ちがどこかであって。。


かわいそうなんかじゃない不幸でもないと心のどこかでいつも叫んでいました。。


それは親の愛を信じてたからということもあるし、


両親が離婚しても私は私で変わらないって気持ちもあったし。。



だから中学に行く頃には、、友達には普通に話していました。(母には裏切りですが)



友達も普通に接してくれていました。。



それがとってもうれしかった記憶があります。



この標語は私の歩む人生で常に残るであろう言葉です。




でも、そんな私は・・・



私以外の母や父や姉や弟の人生をみたとき今現在、、、



かわいそうという目でどうしてもみてしまうときがある。。。



でも、、かわいそうじゃないんだ。



 
それがその人の人生だから。。  

 



そう思うようにしています。。。





まあうちの母も父も姉も・・弟はどうかな・・・



自分をかわいそうな人とか不幸だとかはたぶん思ってないだろう。。



たぶんというより確信に近い。



弟はどうかな。。。(苦笑)