purun34’s diary

過去のデーター保存場所

猫たち

イメージ 1

イメージ 2

役8年間飼っていた猫たち。。子どもが2歳の時に喘息アレルギーになったので共に暮らすことがどうしても困難になり父に見てもらうことになりました。どうしても人間の勝手な行動で手放すということだけはさけたかった。。飼うという事はかわいいだけでは飼えないことを身をもって痛感しています。

猫は本当のところ嫌いだった。何で嫌いだったかというと当時手乗りで飼っていた文鳥を野良猫にやられたからだ。。目をひっかかれて痛々しい姿になってしまったのです。だから猫が大嫌いだった。。猫はなんてひどいことをするんだろうと。。もともと野生の持ってる本能だから仕方ないのだがその時の私はそんなことは理解できなかった。

何で飼うようになったかというと弟のつれの家の近くで子猫が産まれてその子猫を弟が私の部屋に入れたのがきっかけだった。

ある日家に帰って部屋に入ると猫の泣き声がしてあれっと思ったら子猫がテレビの後ろに隠れて震えて固まっていた。猫に対してのイメージがうえつけられていた私だったが私をみて震えてる姿に思わず(安心して私は見方だよって)歩み寄った。そして少しずつ少しずつ私にすりよってくるようになった。

いざ関わると情がわいてほんとにかわいいと思うようになった。。この猫(ぷぷ)は私がいないと生きていけないだろうな。さあどうしよう。。

まあそんな思いがありながらもだらだらと世話をしつづけたのである。又その時期自分自身もいろんなことが重なって自分自身を子猫の中に見ていた。

そんな私の猫をかわいがってる姿を隣の部屋で弟が見ていたのかまたまた兄弟の猫(チロ)を連れてきた

兄弟で交尾するとは思っていなかったのだ。かわいいだけでは飼えないがかわいいだけで飼っていた。無知で先のことを何にも考えていなかった。。

この話はそこまででおわらない。

そして今度はその当時弟の付き合ってた彼女が駅前にダンボールで捨てられてた子猫4匹を拾ってきたのだ。その彼女は20才まで生きられたらいいと言われてて生まれつきの心臓病を持っていた。今を一生懸命生きてる子だった。。そんなこんなで弟が私に猫を飼わないかと見せた。

私もさすがに飼えないと言ったがとりあえず4匹ダンボールごと何日か家で保護することになった。

そしてまたそのなかの一匹(ちび)がほんとにいい性格をしていた。チロとぷぷに必死で仲間に入ろうとふーっつと言われてもめげずに仲間入りしようと何度も何度も擦り寄っていた。その姿にこの猫ちゃんだけは自分が何とかしようと思った。。

結局3匹になった。

猫の話をするとかなり話が長くなるのでこの先はもう書くのはやめておこうと思います。。

そんなこんなで結婚してマンションで住むようになったがその1室を猫の部屋にした。

夫婦喧嘩でこんなこともしょっちゅうあった。猫・猫って子どもが喘息なってるのに猫のために子どもが犠牲になるのか??猫にどんなけお金使ってるんや。。

猫が生活の中心だった。

私は自分のとった行動に何が何でも責任を取りたかった。。猫も子どもも大事だった。。保護施設に行けば間違いなく猫は殺傷処分だ。

子どもが2歳で喘息アレルギーになり猫と部屋を分けて完全に接触をしないようにしてその後も4歳まで共に暮らしたが2人目妊娠でどうしたらいいか夫とも相談しほんとに悩み悩んだ結果父が実家で見てくれると言った。またまたどうしようもなく行き詰った時に救われた。。毎日世話をすることはどんなけたいへんかということは自分が一番よくわかっているので父にはほんとに感謝です。母は動物大嫌いで父は動物が好きだった。というわけで父は今犬と猫と鳥を飼ってます。

そして猫のために父だけでなく関わった方すべての人たちにもご迷惑かけてすみませんでしたとこの場をかりて言わせていただきます。


左からぷぷ(母猫)コチ(雌)ちゃぴ(雌)コブ(雄)ちび(雄)ミック(雄)
チロ(父猫)

猫ってみんなおんなじ性格にみえるけどほんとに一匹一匹ぜんぜん違うんですよ。。