purun34’s diary

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子育て ・・自分の過去を振り返り思うこと

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私なりに思うこと

私自身が育った環境は大変複雑である
しかし自分の育った環境は今ではよかったと思う。それにしても育児についてはわが子にまともなことは教えてあげれてないと思います。むしろ子どもからたくさんのことを気づかされ教えられてます。

子どもができ育てていく中で私はいったい誰のために育児をしているのかとふと自分に問いかけてみることがある 

一歩外の世界に踏み出せば人様にご迷惑をかけてはいけない、それは生きていく中で大切なことです。そういった感情がまず一番に頭をよぎる、そして世間体、ご近所の目。。そしてそのためにわが子が犠牲になってることに気づかされる。本当に子どもの立場に立って気持ちを理解し対話できているのだろうか。自分が恥をかきたくないだけではないだろうか。ちゃんと子どもと向き合えているだろうか。子どものできがいいのにこしたことはないがたまに見てるとそれがすべてかのように教育している親がいる。子どもが過ちをおかした時にまさかうちの子に限ってそんなはずはない。。。と気が動転するのである。なぜならもっとも身近な私の母がそうだったのです。私は勉強ができたわけではない。私の母はそういった思いがすごく強かった。子どもが見えてなかったのである。母を尊敬しているが子どもの気持ちを理解するには今でも無縁に近い人だ。それには母にも複雑な背景があるから仕方ないのであるがそれを理解するにはまだまだ私には無理な年だった。そして思春期の複雑な感情の時期には時として事態を悪化させることもあった。

ずっと封印していたが私は高校の入学式の日に友人と問題を起こしいきなり謹慎処分をくらったのである。初めてみる担任教師に一発ほっぺにびんたをくらい一週間家で反省だ。母は気が動転しおかしくなっていた。まさか・・・(名前)がそんなことする子やと思わなかった。私をひどく叱責した。しかしそのときの私はその言葉にまた母に対して思うことがあった。。。どんな人だってまがさしたり過ちをおかすときがある。無理と困らそうとしてしたわけではなかった。自分の意志が弱かったのだ。母の態度をみて自分のとった過ちの重大さにすぐに気づいたが母のその言葉でとっさに死をもって償おうと窓から飛び降りようとした。。。。。

そのとき私の父と母は離婚していたが母から話を聞き父がかけつけた。
私は怖かった、叱られる怒鳴られる。恐怖におびえていた。

しかし父は違った。一言も責めなかった。。黙ってそのことには触れなかった。。

そして私にこう言ったのである
(学校行き辛かったらやめてもいいんやで。定時制もあるし、昼間働いて夜間の学校へ行くか?(名前)が決めなさい、決めるのは自分やと。。

謹慎後校長先生に母と親子そろって涙をながしながら謝罪した。。そのとき私は思いました。(冷たいかぜを受けようともぜったい何が何でも3年間まじめに通い卒業すると)

自分が小さいときどうだったか?自分自身に問いかけてみたときに(~しなさい、これはだめあれはだめ、~ちゃんは~ができてしっかりしてるわね、あの子のようにがんばりなさい、~ちゃんはしつけがなってないからあそこの子とは関わったらいけません、などなど)ききたくもない言葉が頭によぎる。。みんながそうとは言わないがくさいものにふたをする。。人と比べないで!自分と言う人間を見てほしいと子どもごころによく思ったものだ。。私はその当時温かいぬくもりを求めていた。しかし朝から晩まで生活のために働く母の姿を見ているとこんな私の気持ちなど誰にも言えなかった。。。


そんな私が親になってはたして子どもの気持ちを理解できているだろうか。。
大きな愛があることは言うまでもないが子どもを育てると言うことは自分も育たなくてはならない。子どもに自分を理解してほしいと求めてばかりで子どもがどんな思いでいるかなんて考えていない自分がいた。それじゃ自分も母の二の舞だ。自分が子どもを理解しようとしてないのにましてや子どもが理解できるはずなどない。

子どもが授かったということが何よりも幸福であることを自分自身が一番わかっていることなのに毎日生きているとそういったことさえ忘れてしまう。

家族があるということこんなにすばらしいことはないだろう。

そして育児とは?。。。

育児とは見返りを求めない奉仕の愛情をもってそして自らの修行の場かな?