purun34’s diary

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温故知人

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私には一生涯忘れることのない心の恩師がいます。愛にはいろんなかたちがありますがこの先生が私の人生にいつも表れてきます。誰にも話したことのない秘話をブログで公開します。

それは私が4歳のときに習字に習いに行った時の先生であります。なぜ習字に習いに行ったかと言いますと父が決めたそうです。私は話を聞かされてなかったためある日突然母に連れられて公民館に行きました。そしてよろしくお願いしますとだけ言い残して母は私を置き去りにして帰っていったのです。何も知らされてなかったので当然私はパニックです。大泣きで習字どころではありませんでした。そんな私の不安を和らげ温かく受け入れてくれたのが今は亡き清水先生であります。どんな先生かといいますとぽちゃっとふくよかで喘息を患ってたのかがらがら声でいらっしゃいました。そのとき先生はすでにお年を召されてましたので50代か60代だった様に思われます。嫌だ嫌だと思いながら通い続けられたわけはその先生のおかげであります。。何で嫌だったかと言うともう一人先生がおられました。その先生はいつも人に厳しくしかってばかりおられました。そして清水先生はと言いますととってもかんろくがありました。いつも前でどしっと座っておられて動作もゆっくりでいらっしゃいましたが、いつも私の字をほめてほめて私を励ましてくださいました。字が書けたら手を上げて(先生できました!)って言わなくてはならなかったのですがそれを言うことができないほど気の小さな私でありましたがそんな私のことを見えていたんでしょうね。字が書き終えてもじっともじもじしてだまっていた私を清水先生はいつも叱ることなく声をかけてくださいました。4歳から13歳までの間ずっと毎週お稽古のあるときはそんな調子でです。ほんとに温かかったです。そしてもう一人の厳しい先生にはよく叱られました。叱られたと言うよりは私に(きちんと書き終わったら手をあげていいなさい!)(はっきり言えんかったらあかんよ)と。確かにその通りなのですが、私はその先生がいるだけで萎縮してしまい自分が出せなくなっていました。自分の存在自体さえも否定されているようにも思えました。・。・でも清水先生がいつも温かくいつもにこやかにほめてくださいました。北風と太陽の話を思い出しますが、まさに清水先生は太陽でした。
そして私みたいなおとなしい人間に自身をつけてくださいました。長い長い道のりを先生のおかげで毛筆6段硬筆4段というところまでとることができました。賞状は持っていても何にも役立ててませんが私はそれでもかまわないんです。
なぜかって?
もっと大切なもっと大事な<心>を教わったからです。清水先生は私が高校のときにお亡くなりになりましたが今も私のこころにはいつも清水先生がいます。とっても大きな愛です。自分がおばあちゃんになったら清水先生みたいな人間になりたいな。。ほどとおいけどなあ。毎日子育てでしかってばかり。。でもいつかきっと。。。

ほのぼの秘話でした。