purun34’s diary

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母への思い

昨日は母の働いてる店に子どもと食べに行きました。最近母の姿を見て思います。年いったな。。61歳とは思えない使い尽くした体。その母の背中をいつも見て生きてきました。振り返ると母と一緒のところにバイトに行ってたな。一緒に働いてたけど親子でも仕事中は会話はなし。母はいつも厳しく私を見ていました。高校へ行ってからは大好きなテニス部も辞めアルバイトにあけくれてました。社会に出てからは母と同じバイト先で一緒に働いてました。IBM・お好みや・とん吉の屋台、そしてちゃんこやといつもいつもいっしょだったなあ。母は昼はパート社員で働いて夜は店飲食店の裏方)にバイトで行ってたのです。それこそ浜省さんの歌にある〈油にまみれて私たちを育てた~)ですよ^^しかし私もさびしかったので母といっしょに居たかったのかもしれません。そんなわけで母の働く姿を見て生きてきました。そしてその背中を見て思います。もう十分働いたよ、ごめんねお母さん、ありがとうお母さん。。生きてる間に親孝行したいなって。。そんな思いでいっぱいなのに自分の小ささに腹が立ちます。くやしいな。思えばいつも友達関係、彼氏も母にことごとくこわされてきました。電話をつないでもらえなかったり家にお友達が来てもいつも友達を悪く言うのです。そんな母が嫌で理由がわからずぐれましたよ~。相当私の過去は悪かったです。家に母がいない寂しさから私は反抗し外の世界に温かさを求めて自分を粗末に生きてました。世間にいっぱい迷惑をかけました。そして結婚し子どもを産んで最近思うこと。。母は子どもたちを手放したくなかったんだろうな。いつまでも自分の宝。何でそんなことするのかその当時はほんとに理解できなかったけど母の思いがわかるようになりました。相手が憎いのではなく子どもは自分の命そのものだったんではないでしょうか。それでも世間からどんな冷たい視線をあびようともわが子を信じ、必死に守ってくれました。。結婚した時はかたちだけの感謝、今そして今感謝しきれないこの思い。。。いつか訪れるその日、母との別れに耐えられるかな。。(お母さんが生きてる間だけやで。死んだらこんな親でも居て助かったなって思う。ちょっと見てもらったら助かるやろ。お母さんは見てもらう人がいなかったんや。)しょうごを産んで手伝いに来てもらってるときに言った母の言葉です。母にもいろんな思いがあるんだなあ。決して賢いとはいえない不器用で素直でない母、あまえることを知らない母。たまにぽろっと見せるほんね。。ごく最近まで自分の母をはずかしいと思ってたけど、それでも私にとって見ればかけがえのない母なのだ。。これからは私が母を守っていきたい、そんな思いでいっぱいですがこんな弱い自分じゃまだまだ・・・